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世間学入門(水无月 睡蓮)

はじめに

  「世間」を対象として考察する場合には、「世間」という概念が、各人の属する世間や、これまでの人生経験に大きく左右されます。そのため、学問対象としては、各人によってさまざまに捉えることとなりますが、各人がそれぞれの経験をもとにそれぞれの「世間」を考察していことが先ず第一歩だと考えます。
  「世間」学を始めると、世の中の事象について、多くの事が世間的なものであることに気付きます。(個人的には、2割から8割くらいが世間に左右される感じですが、中には、人生全てが世間みたいな感じの方もいらっしゃいます・・・)
  「世間学」を始める人は、世間についての様々な思いを持っていることが多いと思います。「世間学」をすることで、それらが全て解決するわけではありませんが、それまで原因、理由が解らなかったことについて、「世間学」によって世間的な価値観を、より理解することができるようになります。理解は出来ても、納得することは別ですが。しかし、状況を理解することで、問題を解決する方向を見つけることがでます。
 「世間」について世間学的に知っている人はあまりいません。「世間」を知らないまま、リア充(ほかの人との現実生活が充実していること)な人生を送ることの方が幸せかもしれません。自分自身が、社会で充実した生活していると考える人々は、「世間」を考えなくても問題はないのかもしれません。しかし、ふとしたことで、「世間」に対して、自分が置かれている立場が変化したときなどに「世間」と対峙して、冷静に対応するには、「世間」を世間学的に見直すことが必要です。

世間学とは 
 (日本における個人)
「世間」について考える前に、先ず、日本では、「個人」というものがないということがあります。
これは、「個人」が集まって「社会」が構成されているというのは、西欧的な思考であって、日本には、未だかつて「個人」というものはないということです。

世間学における注意事項
ステレオタイプ化することの危険性について
  西欧キリスト教社会の人と日本の典型的な人とされる場合を対比して考察しているため、それ以外の、個人を持った日本人や、キリスト教徒以外の諸外国の人々などについては別に考察する必要があります。

全て世間に問題があるとする考え方について
  世間学を始めると、今まで理解できなかった世の中の事柄について世間がすべて悪いと考えてしますことがあります。実際には、「世間」は、全ての人々にとって善悪というものではなく、人によって、場合によって異なるものです。本音ばかりでは、人間関係が成立しないことも多くあります。建前を建前として、その裏にある本音を推察しながら、よりよいコミュニケーションを進める必要があります。

価値観としての世間
  日本では、個人がない代わりに、世間が価値判断の基準になっています。そのため、自分自身の判断ではないため、責任が曖昧になったり、本心ではないのに、建前としての価値観を「世間が許さない」といった形で表現する場合があります。

(世間とは2)
さて、阿部先生の世間学では、
1.互酬制社会
2.長幼の序(年功序列)
3.共通の時間意識(同一時間性・共時性)
4.呪術性
  という世間の特徴、基本性質が挙げられます。

To Be Continued...