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佐藤直樹 
なぜ日本人はとりあえず謝るのか―「ゆるし」と「はずし」の世間論 (PHP新書) [単行本]

もくじ
はじめに 
第1章 日本を縛る「世間」とはなにか
なぜ年齢にこだわるのか
 1 日本に社会は存在しない
 2 「お返し」がなにより大切なのだ
 3 なぜ年齢にこだわるのか
 4 「お世話になっております」は訳せない
 5 年賀状がなくならないわけ
第2章 「世間」における「ゆるし」と「はずし」
日本の犯罪率が低いわけ
  1 「排除型社会」への突入か
  2 日本の「存在論的安心」
  3 なぜアメリカは訴訟社会なのか
  4 家族、学校、会社での「ゆるし」と「はずし」
  5 カネ遣いが荒くなったらチクられる理由
  6 実刑になるのはわずか1.8%
第3章 「はずし」としての厳罰化
「後期近代」への突入か
  1 厳罰化が進む日本
  2 死刑制度のもつ呪術性
  3 西欧社会における「後期近代」への突入
  4 死刑判決に拍手と歓声
  5 過失致死の罪はなぜ軽いのか
  6 空気を読む日本のペナル・ポピュリズム
  7 「第二の黒船」としての後期近代化
第4章 「ゆるし」としての刑法39条
理性と自由意志をもった人間?
  1 精神障害者が処罰されないのはなぜか
  2 理性と自由意志をもった人間?
  3 「処罰福祉主義」の登場
  4 刑法39条による「ゆるし」への疑問
  5 「妬み」が生み出す「ヤケクソ型犯罪」
  6 危険な精神障害者が野放しになっている
  7 渋谷夫殺し事件と「ゆるし」の発動
  8 刑法39条の刑法典からの削除を
第5章 「ゆるし」としての少年法
「プチ世間」の登場
  1 7才ぐらいで「小さな大人」とみなされた時代
  2 「非行少年」の誕生
  3 子どもは再び「小さな大人」になった
  4 少年法の「評価-予防-処遇」への疑問
  5 少年犯罪はとくに凶悪化していない
  6 「プチ世間」の誕生
  7 「処罰福祉主義」の後退と「はずし」
第6章 謝罪と「ゆるし」
出すぎた杭は打たれない
  1 「おまじない」としての謝罪
  2 「くたばれ警察」のTシャツを着る被告人
  3 起訴便宜主義と「ゆるし」
  4 「世間」への再包摂としての刑事司法
  5 出すぎた杭は打たれない
おわりに

日本人は謝ることで「世間」に属することを許され、存在論的安心を得る。それは「個人」が確立されていないから。本質をつく日本人論。
日本人はだれしも「世間」にとらわれている。世間という人的関係の中で、「ゆるし」や「義理」「人情」といった原理に庇護されて生きている。
  西洋では、神にたいして罪を告白するキリスト教の「告解」という制度により、「個人」が形成され、その集団である「社会」が誕生した。しかし日本にはいまだに個人も社会もなく、世間のなかでしか「存在論的安心」を得られない。ゆえに、日本人は世間からの「はずし」を強く恐れる。日本の犯罪率が低いのはそのためである。
  もし犯罪や不祥事を起こした場合は、ただちに謝罪しなければならない。日本では真摯な謝罪によって、世間からの「ゆるし」を得て「はずし」を回避することができるのだ。ところが、近年日本の刑法が厳罰化する傾向にある。これは犯罪をゆるす「世間」が解体されつつあることのあらわれなのか?
  法制度の変遷をたどりながら、日本「世間」の現在を問う意欲作。


 第1章は、世間論の入門である。第2章以降は、専門である刑法学を中心に「世間」と刑法学、司法などについて、現代日本の状況を展開している。「刑法39条はもういらない」を参照。